不倫は、是か?非か?

注不倫や浮気に感情的になってしまう方はご注意ください。

週刊誌による不倫浮気報道が過熱化し、それに対する世間の反応にも多様性が見える昨今ですが、以前のブログ魂の掟で紹介したおじいとの対話なかででも、ダントツの反響、最大のアクセス数を獲得したトピックが不倫は是か?非か?でした。

そこで扱われた内容については魂の掟原本をお読みくだされば分かりますが、なにも不倫を奨励するつもりは一切ありません。おじいも同じ意見です。

でも、なぜこのトピックがおじいとの対話で取り上げられたのでしょうか?

今回は、そのサイドストーリーな対話を紹介します。

それは、結婚とは?配偶者とは?という話からスタートしました。

あえて批判されるのを承知で言うが、

配偶者は自分の最大の理解者ではない。

なぜなら、結婚とはお互いのカルマ解消を行う仲だから。

前にも言ったが、自分と親との関係性におけるカルマは自分のためにある。

一方、夫婦間のカルマはお互いの成長のためにある。

恋愛は自分を知るため結婚は自分を磨くためにあるのだが、磨くからには磨く相方が必要。

それが夫婦なわけだ。

でも、必ずしも配偶者は自分のすべてを理解できるわけではないし、自分も配偶者のすべてを理解できるわけでもない。意外にも、本当に理解し合える仲とは夫婦以外にいるものなんだよ。

ところで、そっちの現実世界には男と女しかいないから、

確率論で言えば、本当に理解し合える仲が同性ではない可能性は半ってことになる。

その相手が同性なら良き仲間良き友良き友情で済むが、それが異性ならどうする?

欲深く異性を求めたり、寂しさが動機にあると問題が起こるものなのだが、そういう動機ではないにしても、本当に理解し合える相手と出逢ってしまったら人は運命の出逢いと思うものだ。

では、その出逢いは必然なのか?偶発なのか?

いわゆるご縁なのか?それとも勘違いなのか?

これは、スピリチュアル的に答えが出せる問題ではない。

仮にスピリチュアル的に答えが出せても、その真実と真意は自分が決めるものだからね。

こう考えると、不倫や浮気の是非は、個人の価値観の問題になるわけ。

悪いと思っていれば悪だし、

良いと思っていれば善だし、

どーでもいいと思っていれば、他人の不倫はどーでもよくなる。

ご縁だと思えばご縁だし、必然だと思えば必然だと結論する。

つまり、是か?非か?という問題ではない。

自分がどう判断するか、どうしたいかだ。

それに対して配偶者がそれは違う!と反対したら、それは配偶者の価値観になるわけで、単純に価値観の相違が本質なわけだ。不倫の良し悪しを論じているようで、その実は価値観の違いを論じて争うだけ。そこに是非を持ち込むのは現実的ではないよ。少なくとも絶対に答えは出ない。

結局のことろ、感情的に許せないんだよな。不倫したほうも、されたほうも。

そして、感情的になるのは相手の問題ではなくて自分の問題でもある。

だから、相手の行動や言い訳に納得できるか否かで判断しちゃだめだ。

自分がどうしたいか?

これしかないと思うよ。

いや、思うよではない。

それしか、ない。

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